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今川復権まつり

■5月3日(金)~5月6日(月・祝) 会場・駿府城公園

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今川シンポジウム&今川義元公大好き宣言

■5月19日(日) 会場:静岡市文化会館大ホール

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今川義元公合同法要

■5月19日(日) 会場:臨済寺(静岡市葵区)

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新着情報

お知らせ一覧

ごあいさつ

今川義元公生誕五百年祭推進委員会
委員長 小和田哲男
静岡大学名誉教授

 桶狭間の戦いにおいて、2万5000という大軍を擁しながら、わずか2000の織田信長に敗れてしまった今川義元。その強烈なイメージばかりがクローズアップされ、長いあいだ世間から「公家かぶれの凡将」と揶揄されてきました。しかし、義元は当時の戦国大名の中では文句なくトップレベルの才覚を持ち、桶狭間での敗北をもってその業績や人格まで否定されてしまうのは間違いです。
その証拠に、有名な武田信玄と上杉謙信の川中島の戦い第二回戦では、義元が両者の間に入ってその戦いをやめさせています。また軍師である太原崇孚雪斎とともに、武田信玄、北条氏康との間に「甲相駿三国同盟」も結んでいます。これらのことから、義元が武田、上杉、北条とも肩を並べる存在であったことがうかがえます。
領国経営では、父氏親が制定した「今川仮名目録」に二一ヵ条を追加し、時代の変化に対応できる法整備を進めています。また金山の開発や伝馬制による商品流通の円滑化、商人頭の任命による商業の効率的な管理など、商品流通経済にいち早く目をつけた戦国大名が義元だったといっても過言ではありません。
このような義元の業績を正しく評価し、地元に暮らす市民が誇りを感じてくださることを願います。


 

今川義元公生誕五百年祭推進委員会
副委員長 酒井公夫(静岡商工会議所会頭)

2015年、「徳川家康公薨去400年」の記念事業を大々的に実施いたしました。
あれから4年、なぜいま「今川義元公」なのか。
駿府、現在の静岡市は、義元公を中心とした「今川時代」と家康公の「大御所時代」に大きく繁栄いたしました。
今川文化が花開いていた時代に、駿府で教育を受け元服も迎えた家康公が、後にこの地で我が国の首都機能を担う国際都市を創りあげたことは、「今川から徳川へ」と続く「歴史の連続性」を示しています。さらにそれは、明治以降の時代を経て現代の静岡市へと続いています。
我々は、その原点となった「今川時代」を振り返り、義元公の功績を再評価することで、市民が誇り高く義元公について語れる街にすること、すなわち「今川復権」を目指していきたいと考えています。
皆様もぜひ、「今川義元公生誕500年」の記念事業を通じ、「海道一の弓取り」とも称され、領国経営にも優れた稀代の戦国大名「今川義元公」を感じていただければ幸いです。

 


 

今川義元公生誕五百年祭推進委員会
顧問 田辺信宏(静岡市長)

北は南アルプス、南は駿河湾と、多様な自然環境に恵まれた静岡市は、歴史を紐解けば、義元公を中心とした「今川時代」と、家康公の晩年である「大御所時代」に大きく発展を遂げ、現代に至ります。

今川氏の最盛期を築いた義元公は、京文化に精通し、領国経営にも優れていた武将であったと言われています。
その義元公が治めていた駿府で、家康公は幼少時代に教育を受け、元服を迎えました。そして、後に、この地を我が国の政治、外交の中枢機能を担う、世界に誇るまちへと創り上げました。
このことは、今川から徳川、そして現在の静岡市へと続く「歴史の連続性」を示していると言うことができます。

しかしながら、義元公の功績や「本市ゆかりの武将」としての知名度は、それほど高いものではありません。

そこで、義元公の生誕五百年という節目を迎える今年は、本市のまちづくりの原点とも言える今川時代を振り返るため、「今川義元公生誕五百年祭」に官民連携して取り組んでまいります。そして、皆さんと一緒に、義元公の功績を正しく理解するとともに、義元公を誇り高く語ることのできるまちを目指してまいります。

また、この取組を2021年開館予定の歴史文化施設、さらには本市が取り組む「歴史文化のまちづくり」へと繋げ、本市の輝かしい歴史を世界に向けて発信してまいります。